【業務渡航】昭和の雰囲気漂う日系企業で外資系企業を顧客にした悲劇。昭和のおじさんたちの中でモンスターたちと渡り合わなければならなかったか。

【業務渡航】昭和の雰囲気漂う日系企業で外資系企業を顧客にした悲劇。昭和のおじさんたちの中でモンスターたちと渡り合わなければならなかったか。

【性別】女性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
45歳くらい

【当時の職業】
外資系企業を相手に業務渡航

【当時の住まい】
実家の一軒家で親と同居

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
今も同じ職場で働いている





【就職のきっかけと経緯】
友人の紹介で旅行代理店に契約社員として就職したのがはじめで、そのまま契約や派遣としていろいろな会社で働き、最終的に今の会社で契約から正規へと移行した。
雰囲気がよいのと、女性の年齢層が高く、あくせくしていないゆったり感で居心地がよかった。

【環境と仕事内容】
外資系企業のお客様の海外出張手配が主な仕事。
スタート時の人数はオペレーターだけだと12人。
ポジションはチームリーダー。
お客様は典型的な外資系の方ばかり。
日系企業と違って底意地が悪い人が多い。
日勤。
平日のみ勤務。
給与は旅行代理店の中では悪くない方ではないかと思う。
遠方の新入社員は寮を選ぶことができるが実家から通えるスタッフは寮に入ることはできない。

【大変だった時期】
部署異動をして、外資系企業が中心顧客となってからが大変だった。




【大変だったこと】
弊社のベースがのんびりだらだら、で親会社がいる旅行会社だったので、基本座っていれば仕事が来るし、縁故も多かったので何かトラブルがあっても「まあまあ、〇〇さんにいえばなんとかなるよ」的なだったので、突然の外資系企業取り扱いはトラブルだらけだった。
なんくるないさ、的に始めたが、相手方は当然のことながらミスがあれば追及し、今後二度と起きないように解決策を求める、スタッフには熟練を求める、契約書で交わした納期は絶対に守る、という基本的なことも今まで守れていなかった弊社の戸惑いと対処できなさがひどかった。
すみません、では通用しないということが初めて分かった業務だったと思う。
今までは簡単に「できます、やってみますね」で引き受け、出来なかったらら「やったんだけどダメでした」で済んでいたが、外資系は契約が基本の会社。
「やってみましたが駄目でした」が通用しない。
中途である私や他の中途はまだ対応できるが、生え抜きの正社員のほとんどがノイローゼとなりうつ病となり会社を休んだりしていた。
お客様のクレームもきつかったが、上層部の「なんくるないさ」と我々の必死さとの差異が最もきつかった。

【大変だった期間】
13年くらい続いたと思う。
コロナでいったん終わった。




【当時の心境】
異動した時はさほど意識していなかったけれど、移動して初めての健康診断で史上最悪の数値をたたきだし、心では平気だと思っていても体は正直だと初めて感じた。
しかしそれでもだからと言ってさぼるわけにはいかないので、まだ自分はうつではない、と思って続けていた。
スタッフの雰囲気はよかったのでそれが救いだったかも。

【職場が大変だった原因】
最も大きな原因は会社の体質と顧客とのアンマッチだと思う。
前述したけれど、会社の上層部は生え抜きの正社員で基本縁故採用。
取引先である親会社やそのグループとずぶずぶになってやってきた。
それが突然一般企業でしかもグローバルを生き抜いてきた企業を相手にすることになったのだから分が悪かったと思う。
だんだん変わっては来たけれど、いまだに結果を出すことより仲良くなればどうにかなる、と思っている上層部が数人いるのがガンだと思う。




【仕事で良かったこと】
外資系企業ということで英語を使う機会が必須となった。
得意ではなかったけれど、使わざるを得ない場面が増えたので自然と上達したと思う。
ものすごく上達したわけではないけれど。
いままでスクールに通っていたこともあるがやはりそれより実践だと思った。




【特にひどかった最悪の出来事】
世界に名だたる超一流顧客様だが、大変困ったことに契約をきちんと取り決めないままスタートしてしまった。
上層部がなんくるないさの精神で何も決まってないけどはじめよう、といったので。
もちろんなにも決まっていないので出張行程と旅費を提案するのだが、契約が決まっていないため旅費は「多分こうなると思いますがまだ決まっていません」と答えるしかない。
お客様は「決まっていないのに提案するのか、それには一体何の意味があるのか。
決まるのはいつなのか」
ともちろん当然のように問い合わせてくる。
ずぶずぶのグループ企業の顧客は、基本的にいくらでもいいよ、というスタンスだったので、「金額をきちんと知らせてくれなければ意味がない」という答えに上層部はびっくり。
よく考えれば当たり前のことなのだが。
回答しなければならない私が一番困るが、ボスに聞いても「うーん、決まってないから、決まったらお知らせします、で」とお茶を濁される。
いくらかわからない航空券を購入する客などいないと思うのだが。
間に入って何か月も謝り続けたのはつらい思い出の一つ。




【相談した人・助けてくれた人】
一番初めの上司はあまり相談には乗ってくれなかった。
悪い人ではなく、あまりにも忙しすぎたし、さらに上からの圧力もあったので仕方がないと思う。
同僚に仲のいい先輩がいたので、だいたいいつも頼って相談していた。

【改善のための行動】
上層部の「なくるないさ」的意識を少しでも変えたいと思って改革案は言葉にしたけれど結局何も変わらなかった。
言葉であったことと、私の説得力の無さがよくなかったと思う。
その後、異動してきた男性スタッフが書面にて改革案を提案し、だいぶ良くなった。




【現在の状況と心境の変化】
初めのころはカオスで、残業や土日祝勤務が大変で、残業が80時間を超えることもざらだった。
10年以上もたち、職場もだいぶ変わった。
分業制も確立され、一人に対する業務量もだいぶ減った。
楽にはなっているし、最近同仕事をやりやりはじめた人はあまりプレッシャーを感じていない様子。
現在は同仕事場をはなれたのだが、健康診断の結果もほぼ元通りになり、なにより心穏やかになった。
心では気にしていないと思っていてもやはり体は正直。

【学んだこと】
仕事というのはがむしゃらにやればいいものではない、ということを学んだ。
要領よくやる術を身につけることも必要と今更ながらに思った次第。



【当時の自分へのアドバイス】
無理をする必要は無い。
年が年だけに頑張らなければならないと思う気持ちもわかる。
が、体や精神を壊してまで頑張る必要は無い。
頑張っても報われないし誰も評価してくれないこともある。
頑張るサラリーマンの時代は終わった。
いかに自分のプライベートを大事にし、仕事と折り合いをつける時代に変わっていると思う。
要領よくやることも大事。