【ツアーガイド】大学中退で現地の底辺日本人ガイド。いつも現地に「彼氏がいるから働いているのですか?」と聞かれるが、いなかったむなしさよ。辛い思いでばかりですがすべてが人生の糧。

【ツアーガイド】大学中退で現地の底辺日本人ガイド。いつも現地に「彼氏がいるから働いているのですか?」と聞かれるが、いなかったむなしさよ。辛い思いでばかりですがすべてが人生の糧。

【性別】女性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
20代前半

【当時の職業】
ツアーガイド

【当時の住まい】
会社の寮でくらしていました。

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
転職して、違う業種で働いている





【就職のきっかけと経緯】
東南アジアの有名な世界遺産でツアーガイドとして仕事をしていました。
その国に住みたかったという理由と人と話をするのが好きだったのでツアーガイドの仕事を始めました。

【環境と仕事内容】
観光ガイドでしたので早朝から深夜までとにかく働きっぱなしでした。
給与は休みなく働いて5万円程。
20年前の給料ですが、現地のスタッフよりも少なくて日本に帰るお金すら貯められず現地で沈んでいく日本人同僚ガイドをたくさん見てきました。
寮もとても汚く(現地スタッフと同じビル、トイレシャワーは共有)若かったからできた仕事だと思います。

【大変だった時期】
最初からとにかく大変でした。




【大変だったこと】
@大阪出身だったこともあり、大阪弁なまりに関して全ガイドの前で厳しく注意されました。
Aツアーバスの中では先輩の前では座る事を許されずずっと立ちっぱなし、観光地ではもちろんずっと歩き、帰りのバスでも立ちっぱなしでお客様から座ったら?と声をかけられても先輩が怖くて座れませんでした。
B酔っ払いのお客さんに絡まれてホテルの部屋に連れ込まれそうになったこともありました。
また悪ふざけで観光地の池に突き落とされたことがありました。
C仕事でミスがあると給料を差し引かれました。
現地通貨で5万円程しかない給料でミス分を差し引かれて手元に残るお金がほとんどなく生活が現地の人より苦しかった気がします。
D別の日本人ガイドさんが妻子ある男性とお付き合いをしていたようで(その日本人女性はその男性に妻子がいることを知らなかったようですが)、事務所に妻子が包丁を持って乗り込んできたときは決死の想いで事務所から避難しました。

【大変だった期間】
約1年の契約更新時に契約更新をせずに退職しました。




【当時の心境】
今考えてみるとつらいし、何であんな安月給で働いていたのだろうか?と思いますが当時はそれ以外の世界を知らなかったし、仕事をするということはそういう事なんだろうな・・としか思っていなかったです。
(日本で社会人経験をせずにそのガイドの仕事に就職)
ただ、当時仲良くしていたガイド友達とは20年経った今でも交流があり仕事してよかったと思っています。

【職場が大変だった原因】
会社の体質だと思います。
私が若かったというのもあると思いますが、その後いろんな会社を見てきましたがあれほど体育会系の会社に出会ったことはありません。




【仕事で良かったこと】
現地のガイドさんが優しくしてくれたことかもしれません。
日本人のガイドの仕事環境の悪さは現地のガイドさんの中でも有名だったので、彼らの給料もそれほど高くないにもかかわらず差し入れを持ってきてくれたり、先輩がいなくてもなんだかバスの中で座っちゃいけない気がした私に声をかけてくれたりして本当に今でも忘れられません。




【特にひどかった最悪の出来事】
毎日、翌日のシフトが書かれた紙が自分のボックスに入っているのですが、その日は私のボックスに何も入っていなかったので明日は事務所勤務(何も入っていないと、観光はなく事務所勤務という働き方でした)と思っていたら、翌早朝に電話がかかってきて、早朝のツアーが入っていたことを知らされました。
前日に自分のボックスを見たのになぜ?と泣きながら現場に向かいましたが時すでに遅し、、、ガイド遅刻で翌日に再度ツアーに参加頂く為になけなしの給料から弁償させられました。
早朝ツアーが終わり、一度事務所に戻ると私のボックスに今日のスケジュール(早朝ツアー分)が入っているではありませんか??!!
誰かが(先輩と思われる…)昨日、私が事務所に来た時にシフトを隠し、事務所を離れたときに戻すという操作されたようで悔しくてたまりませんでした。




【相談した人・助けてくれた人】
当時、友達もほとんどいませんでしたし、現地の言葉もあまりできなかったのであまり相談していませんでした。
日本に帰って親に会いたいと思いましたが、当時は帰るお金もなかったです。
仕事以外のところではじけて(時には踏み外して・・・)ストレスを発散していました。

【改善のための行動】
結果を出すこと。
優しいお客様(特に自分の親の年代のご夫婦)との仕事中の会話が本当に支えでした。
見ず知らずの単なるガイドだったにもかかわらず優しい言葉をかけてくださったり、日本から持ってきたお土産を下さったり、また日本から写真、手紙や和食を送ってくださったりと本当に心の支えになりました。




【現在の状況と心境の変化】
それから早いもので20年経ちました。
その後その国には18年滞在し、現地の男性と結婚し3人の子どもにも恵まれました。
数年前に家族でヨーロッパに移住しました。
当時の経験は時々思い出すぐらいですがやはりあの頃、泣いて日本に帰っていたら今の人生はなかったと思っています。
辛かった思い出の合間に支えてくださった同僚、現地の方、お客様がいたからこそだと思っています。

【学んだこと】
可愛い子には旅をさせよではないですが、私の初めての就職がこの旅行会社でした。
世間知らずの敬語もろくに話せない私でしたが、辛いという事だけは呪文のように唱えていました。
ただ、一番最初に辛い思いをしたからこそ、その後の自分のキャリアは順調に進み、給与5万円から18年後には日本を代表する大企業の駐在員秘書の座を得て給与も40万以上頂き、その後も在宅ワークで生活できる程の収入を得てヨーロッパへ移住を成し遂げました。
悔しければ頑張る。
ダメだったら別の道を行けばいい。
それは逃げじゃなく成功への架け橋だと信じています。



【当時の自分へのアドバイス】
何でもストレートで不器用で言われたことは絶対と思っている20才の私へ。
今頑張っていることが将来に必ず繋がります。
しんどいと思ったらちゃんと息抜きをする方法を見つけてうまく立ち回り切り抜けてください。
20年経てば幸せな家族に囲まれて笑える日がやってきます。
それまでは食いしばって泥臭いことも毛嫌いせずにやり遂げてください。